国際ニュース

セルティック移籍は「9割反対された」 1年目でトップ出場ゼロ→五輪落選…元日本代表MF水野晃樹、それでも選んだ海外挑戦の意義(Football ZONE web) – Yahoo!ニュース

【インタビュー#2】元日本代表MF水野晃樹に訊く海外移籍を経て今思うこと

【動画】名将オシムの下でジェフ千葉が悲願の初タイトル! 「2005年ヤマザキナビスコカップ決勝」ハイライト

   ◇   ◇   ◇   

 水野は2004年から4シーズン過ごしたジェフユナイテッド市原・千葉時代に主力へと上りつめ、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)連覇(05年、06年)を経験。07年シーズンでは、リーグ戦29試合9得点をマークし、名将イビチャ・オシム監督率いる日本代表メンバーへ初選出、A代表デビューも飾った。

 そこまでのキャリアは順風そのもの。そして08年、念願の海外移籍を果たす。新天地はスコットランドの名門セルティック。当時のチームには中村俊輔(現横浜FC)が在籍し、現地のファンを唸らせるほどの大活躍を遂げていた。

 クラブ史上2人目の日本人選手として期待の眼差しを向けられて迎えられた水野だが、在籍期間は2シーズン半、公式戦出場12試合1得点と、思い通りの結果を残せないまま、10年の夏頃にはスコットランドの地を後にし、日本へ復帰した。

 悔しい形で幕を閉じた自身初の海外移籍。希望に満ちたキャリアから一転、異国の地では一体、何があったのか。

試合に出ればある程度やれるという感覚、競争には勝てなかった

 そこでいざスコットランドリーグに行ってみると、正直、試合に出ればある程度やれるという感覚はありました。ただ、チーム内での競争に勝てなかったのは事実で、当時のセルティックの中盤は、国内リーグのMVPに輝いた経験のある4選手で埋め尽くされていたんです。彼らのコンディションが良い時、自分はそれ以下だったので、なかなかそこで勝てなかった。

 その選手たちが、怪我や体調不良で出られなかった時、試合に出るとある程度できてしまうんですよね。それは自信にはなるんですけど、彼らが戻ってきた時には居場所がない。チャンスを掴めても、そこまでのインパクトを残せなかった。そこが、向こうで目立った成績を収められなかった1つの要因かなとは思います。

 初めての海外移籍でしたけど、環境面に関してはそれなりに馴染めていたかなと。英語圏なので、改めて勉強するというより、ある程度分かっている言語だったので、上手くコミュニケーションはとれていたんですよ。中村俊輔選手の通訳の方にもある程度サポートいただきながら。性格上、その場で楽しめるので、ピッチ外にはそこまで困らなかったですね。

 1つあるとしたら、ピッチの緩さ。スコットランドは雨が多い気候なので、芝がすぐにめくれてしまうコンディションだったんです。そこに足を取られて膝の怪我をしてしまって。手術をしたのが向こうで2回。そういう意味では、環境に馴染めなかったと言えるかもしれません。だたそれも技術の1つだと思いますし、言い訳に過ぎないですけどね」

クレジットソースリンク

Related Articles

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Back to top button